ごみ拾いをなぜやっているのか
きっかけは、ねこの散歩のついでだったが、自分の住む町をさらに好きになるためだった
町内の気になるゴミを火バサミで拾うようになった
かれこれ5年ほどになる
言っておくが、これは決していいことしているマウントではない
思い返すと中学生のころ、長い道のりを歩きながら落ちているごみに気分が沈む感じがしていたが、それを人に話すことはなかったので、私だけだったのかすら分からない
しかし、ごみに目を向けるようになると、明らかに、ぽいと捨てられる場所は定位置若しくはゴミ回収時にこぼれ落ちた小さなかけら達のそばだったりするのだ
人は、ごみやその場からある種のエネルギーを感じ取る
エネルギーは引きつけ合うので、そこは捨ててもいい場所となる
ゴミを拾うようになってから、エネルギー感知能力があがった
ごみに呼ばれるようになる
もしサイキックに目覚めたい人は試してもらいたい
そしてまた、ポイ捨てしてしまう人についても知ることになった
自分を愛し切るほどには親からの愛を感じられなかった
世の中に対する不満が多い
つまりはもともと愛情深いはずなのだ
器が大きすぎて満ちることがない
だからわたしは拾うことをやめないでおこう
みな等しく愛される存在だと気がつくように
自分に還る方法
観念とは、自我を形成するための後付けの取決め
その多くは自分を守り育てるものだが、逆にも作用する
他人に影響されやすいわたしなどは、とにかくたくさんの概念を持っている
周りの分まで肩代わりする人もある
例えば、「他人を信用してはならない」
なぜそれを握りしめているかというと、
・騙されることは愚か
・損をすることは良くない
・特別であるためには間違えてはいけない
などと言い聞かせている
他人を信じないと、今や生きてはいけない
野っぱらに裸で投げ出されるからだ
衣食住や電気、水道、ガスなどのライフラインであっても、人の手が関わらないものを探すほうが大変だ
それら全てを疑おうと努力すると、それだけで一生を終えてしまう
どんな人間も、他人によって成り立っている
それは恩恵として素直に受け入れていい
人間は疲れてくると世間を疑いたくなるものだ
失敗してはいけないと決めているのは自我
失敗から学べることを知っているのは、われわれ自身
本質は成功も失敗も体験したい
そこには可能性がただ存在するから
愛しき地球のために
人をコントロールしてはいけないという観念がある
潜在意識の書き換えを促すSA【セイクリッドアクティベーション】を手にしたのに、その決めつけは必要かをガイドから問われた
そこで、私自身の不安がどこから来るのか過去を覗きに行った
母親が心配そうに、小学低学年の私をスキースポーツ少年団の教室に連れていき、様子を伺っている姿が見えた
いくつだったか記憶にないが、周りより幼い私は、縁のない大皿に盛られた粘度の低いカレーのルーを、隣に座る子の脚にかける失敗をやらかした
親の期待通りの結果が起こり、そこではただ、自分が悪いと学ばされたわたしは打ちひしがれて、できない子レッテルを心に貼った
今思えば、親の成長に必要があった出来事なのだが、当時楽しく過ごす任務だと思っていた私には、重苦しい出来事だった
インナーチャイルド自身がこの出来事を癒そうとしないので、理由を聞くと、親の気持ちを受け取ってしまっただけで、わたしの傷ではないという
わたしへの影響を意図していなくても、自分と同じであって欲しいというコントロールの結果だった
人をコントロールすることは、常日ごろ行われていて、それは意識下にない
どうせやるなら意識的に求める方へ
望んだ人の、マインド・コントロールを解く手伝いを胸を張って続けていこう
優しさ
たぶんこれが今一番に伝えたいこと
近頃の世の中の傾向は自己の確立に焦点が向けられている
本当に優しい人たちは、どこまで自分を突き詰めても他人の方が重大だ
大概はエンパスやHSPと呼ばれ、他人を我がごとのように思う
そうして自分を探し出せず、人生の露頭に迷う
優しさがアイデンティティなことが、当たり前すぎて気づかないからだ
大概世の中は辛く厳しい
そりゃ、その人の価値観からしたら周りが優しいわけがない
あらゆる事象に気を配り、愚痴も言いたいほどに真剣に世の中と関わり、他人を悪く言うことに内なる罪悪感を抱え、心を傷だらけにしながら生きている
人のために精一杯生きること
それは素晴らしい愛の形であり、自分らしさだということを思い出してほしい
自分の優しさを素直に受容することが、人生を好転させるステップになっている
どんな辛い環境の中にも愛を見いだせるように変わる
そこに一番近い人たちなのだ
これからの地球で生きる
この世が愛に見えないのなら
自分がそれを実践しよう
世の中に違和感を覚えたら
違う道を選択しよう
わたしたちはすべてを知っていて
すべてを持っている
周波数が先に、はまって
現実は遅れてやってくる
それを知っていればいいだけだ
この世の様々な感情は
これまでに山ほど経験したはずだ
だからもう、望まない体感はしなくていいのだよ
波動が変わってしまったら
どうせ覚えてはいられない
いまを意識して生きる
世代も性別も性格も
自分がつけたただのラベルだ
鏡の存在に翻弄されずに
自分という駒を楽しむことが
この地球でやるべき唯一の使命だ
未来と過去は、ただ、愛をどのように表現したかという結果に過ぎない
自分を存分に活かす行動を地球上のみんなと試して、成り行きを受け止める
信念が世界をつくる
それがわたしたちに与えられた最大で最高のギフト
試練
"あなたのほかには何もないから。"
この一文が読みたいと思って本をひらくと
それを理解するかたまりのページがあらわれる
これが本当の仕組みだ
わたしたちが忘れているものだ
私は半世紀それを忘れ続けていたおかげで
この事実が本当に新鮮な喜びとして見出だせた
不要な現象は存在しない
神には愛しかないからだ
地球での体験は何にも代えられない
神は絶対にわたしたちを操作しないが
常に共にあるのだ
自分を肯定するとき、神はほほ笑む
地球にいて、それができれば成長だと喜んでくれる
それは評価ではなくて共感だ
愛はひびく
わたしたちは自分を最大限に愛することを試されている
暇を持て余した神のひとり遊び
この世には、間違いなくルールがある
それは人が作ったものの話ではない
不思議ではないか?
輪廻転生という言葉が浸透している理由
優しい人の多くは幸せではない謎
なぜだかわからないけれど、人を殺してはいけないという倫理観
何も知らずに産まれたはずが、欲求を伝えるためにはアピールしなくてはいけないのを知っている
お世話されなければ死んでしまうと恐れる本能とは何なのか
理解できないものは受け入れまいとするは何故なのか
すべてに納得できる答えがあるのに、求めなければ得られない
既視感も、魂が震える体験も、わたしたちはもともとすべてを知っていて、思い出したときに起こる
それら自分を思い出す経験をしたいがために、宇宙の摂理を忘れて産まれるのだ
今いる場所は自分のために用意したもので
もし苦しいならばそれを選ぶことにした事実を褒めていいし
つまらないと感じたらポテンシャルを信じればいい
無気力になったなら意識を身体に移せばいい
生きている中で注目する対象はスライドしていき、どの体験が自分をつくっているのかわからないまま自分を信じて生をまっとうする
そんな旅のために何もかもを手放して産まれた勇気を称えよう
今世築き上げたものを捨て去ろうとするとき残したいものに本当に満足しているのかを問おう
もう、過去を引きずって生きる人は減っているかもしれないが、その延長線を辿る道に焦点を絞るのをやめよう
今を生きるとは、現状に満足しようという意味ではない
今の自分にどんな称号がふさわしいかひねり出すことだ
それを愛のもとで行うことだ
おみくじを引くように
レッテルは大事な自己認識
そこに余白をとっておこう
おや?とっておきのカードを隠し持っているね?