自我の確立

私は親が苦手だ。

昔から、幼稚さを感じた瞬間胸がざわつく。

親を認めるということは、辛かった子ども時代を肯定することになってしまう。手探りで生きてきた自分を認めると、将来にまたその現実があらわれだすんじゃないかと危惧してしまう。

実際は、そんなこと思うだけ無駄だ。

この世は何が起きても不思議ではないのに。無限の未来があるのに。

そんな画一的なことが起きるとすれば、自分の信念がそこに宿っているだけだ。

私は親に、解決は自分でできるということを教えてほしかった。それをしない親のことを諦めていた。自我が芽生えなかったのを、そのせいにしていた。

親から愛を受け取ることは執着になりやすい。

子育ての経験がなくても、人ひとりの命を守り続ける重圧は想像がつくことなのに、どうして親だけは自分にすらしない期待をかけ続けるのか。

 

親とは、他人と同様、単なる個だ。

成長をいつまでも親に手を貸してもらおうとすると本当の自分にモヤをかけてしまう。

 

親に自分が幸せではない姿を見せて復讐を果たそうなんて、沢山の人がやっているが、何時でもそこから抜けられることは、知っていて損はない。