世の中の出来事に意味づけする

 この世界が自分の成長を手助けしてくれる。

 周りに起きるすべての事象は自己の内側の映し出し。つまりは自分がこの世を作っている。

 どうして辛い目にあうんだろう。って気がついたら思うようになっていた。

 実はその前に、私は世間知らずで、この先、生きていくのが辛くなるだろう。人並みに社会を学ばないとずっと子供のままだと自分を嘆いたんだ。

 もっと直感的にそう感じてただけで、人に話したことも無ければ言語化したこともないこの思いは何十年と私に悲観的な現実を見せ続けた。

 悟りなんてものは修行の果てに手にできるか分かりゃしない。自分より不幸な人を探して相対的に不幸じゃない自分を探す日々。

 不幸自慢も楽しまなくちゃ。

 あれ?

 なんか、やり切れない。満足できない。

なんで自分で幸せになろうとしないんだっけ?

 ぜーんぶ人のせい。人に責任取らせるのって自分が何もできないアピール?それが無価値感を産んでる。感覚麻痺してたけどいつからこんなできない自分を許すようになった?

 洗脳が解ける。トラウマが見え出す。自分の感覚が戻ってくる。取り巻くすべてが味方する。憧れだった魔法が手中に。

 変わろうとしたわけでもなく、自分の好きなように生きることにして、檻を捨てた。

 何もない自分の生き様をさらけ出すように毎日を過ごした。

 不足感の器は大き過ぎて把握できなくなっていて、いくらでも不足が降り注ぐ。

 もう趣味じゃないって放り投げたら小さい「満足」の器に変身したんだ。

 不足を味わい尽くそうとしたのは私だった。

 心の針が傾倒してた。

 でも知っちゃったんだ。

満足ってちょっとでも感動できてお得〜。